酒呑童子

 これは一人の女性にまつわる物語である。

 ある時、ふと私の前に現れた彼女との威風堂々の記憶をここに綴るのであり、その生態の解明に至る私なりの標べとなる記録である。

 この読者諸君におかれては、彼女の艶麗さと私の間抜けっぷりをじっくりと味わっていただくがよろしかろう。

 硬く冷ややかな世田谷の空気を窓から取り入れ、私は最寄りの骨董屋より輸入した人参色のソファーに腰掛けていた。

 それは如何にも「骨董である」といったデザインで、座り心地はイマイチだったが買い求めやすい値段だった。

 でーんと座っていたある日の朝、膝の裏に何者かの存在を感じた。存在は単体ではなく集合らしかった。ズボンのすそから這い上がる小さな軍勢。立ち上がり、退いてみるならば身の毛もよだつ光景。ソファーの内部から布の隙間を窓口として大量の羽蟻が漏れ出している。

 足元に置いてあったペットボトルを掴み取り、茶を彼らに向かって破茶滅茶に振りかけるがその結果は虚しい。

 裾には茶色の飛沫が、それとその匂いだけが。落ち着き払い、彼らを落としてしまわぬよう玄関まですり足で移動する。細心の注意を払いながら仰向けに寝転がり、ベルトを外し、ズボンを慎重に脱ぎ下ろして玄関の外に放り投げた。

「まったく、忌々しい。呪いのソファーか!?あれは」と、足早に廊下を戻り、ソファーを見やれば彼らの姿はなし。

 影も形も残さず、何事もなかったかの様な顔をした人参色のソファーがでんっとそこに置かれているのみであった。

 羽蟻の影などどこにもない。一応確認までとソファーをひっくり返して布張りの底を押したり、臭いを嗅いでみたりするもののおかしな所は全くない。

 なんとも奇怪な現象に遭遇した私の表情はみるみるうちに真っ青になり、怯えた魚のように口が閉じなくなってしまった。

 私はその場にへたり込んだ。「一体全体なんだというのだ。羽蟻の祟りか?」

 その昔、童心ゆえの悪戯で火を放った蟻の巣や思い当たる限りの虫いじめを数えてみるが、心優しい私にそのような記憶はやはり皆無であった。