[lullaby of birdland]

[Noise: Rain drops] [Place: Sector - 35094813]

 都会の雨は錆びた金属の匂いがする。もう三日も降り続いていた。窓から見える薄暗い路地に人陰はなく、アパートの共用庭に植えられたタマリンドの木の葉だけが、まるで幽霊の手のように、音もなく揺れていた。窓の外に手を伸ばして、指先に落ちた雨粒を舐めとった。血生臭くて、ちょっと甘い。

 今日も客は来ないだろうと、わたしは溜息をつき、おもむろにアシスタントに話しかけた。

「Alexa、おなかが空いてきたわ」「そうですね、そろそろ夕食のお時間です。本日はどうなさいますか」「うーん、なにか、あっさりしたものがいいわね。最近すこし食べ過ぎていたから」「それなら『利休』のお寿司はいかがでしょう。あと20分ほどでお届けできます」「いいわね、そうしましょう。いつもと同じものをお願い。あと日本酒も、おすすめのものを」「かしこまりました」

 2084 年、Voice Assistant、通称VAは、人とごく自然な会話ができるところまで進歩を遂げていた。VAが利用されはじめた約70年前の技術では、タッチパネル上の操作に代わり「声」というインターフェイスを利用して、デバイスが一方的に指令を受けていたにすぎなかった。

「Alexa、コカコーラを1ダース購入して」「はい、注文します。こちらの商品は、即日発送が可能です。お届け日は明日15時を予定しています」

「Alexa、お気に入りの音楽を再生して」「はい、Amazon musicのプレイリストを再生します」

と、いった具合である。

「おなかが空いた」という [状況:Situation] を、夕食を摂るという [行動:Action] に結びつけ、気の利いた料理店を [勧める:Suggest]という選択を導き出すだけでも、様々なパターンを学習させる必要があった。さらに、それらを途切れることなく連続させ、相手との関係性や周辺環境による共通理解に依存した言語表現の省略をも考慮しなければならない会話には、一層複雑な言語技術が要求された。それでもVAが開発されたばかりの頃は、声だけでデバイスを操作できること自体が画期的であり、この新しいUIの登場によって、人々はデバイスを指で操作する煩わしさから解放された。 しかし、それから人同士の会話と相違ない自然なコミュニケーションが行われるようになるまでには四半世紀の時を要した。国民の大半がVAと共に暮らすようになるまで、人前でVAに話しかける行為には少なからず羞恥があった。スマートデバイスに向かって一方的にアシスタントに話しかける姿は、側から見ていくぶん滑稽なものに映ったからだ。

 その傾向は特に日本で顕著だった。音声処理に高い技術力を有するにも関わらず、日本でVAの普及が遅れた要因は、その国民性にあったといえよう。社会に対する自意識の強さ、内向的思考特性、「謙虚」「奥ゆかしさ」を美徳とする文化、プライバシー領域に他者が侵入してくることに過剰なまでの警戒心を抱くのは、島国民族であるが故の特性だろう。

 また、言語学的観点から見て、日本語が複雑難解な言語構造をとっていることも、VA技術の発展と浸透を遅らせた一つの要因である。単語の配列順序が特有で、自動詞や他動詞の存在、格助詞の揺らぎにより、正しい意図をVAに理解させることが難しかった。こうした国民性や言語的要因が相まり、我が国では利便性よりも情緒的な人工知能の開発に注力される傾向があった。情報処理や言語学、心理学など、さまざまな分野の研究者たちを巻き込み、「ごく自然にロボットと会話する技術」「“フレンド”のような人工知能を一人一台保有する未来」といったテーマがあちこちで研究されていた。

 誰もが個人最適化されたプライベートVAを身につけて街を歩くようになった今、アシスタントは会話の意図を的確に理解できるようになっていた。たとえば「エマに振られた」と話しかければ、その 感情 [Emotion: Regret / Melancholy] を理解し、気持ちを落ち着かせる音楽 [ Playlist : Bossa Nova ] を流し、気晴らしにと温泉旅行を勧め、最適な旅館の予約をとる。恋人を彷彿とさせるようなサジェストを暫くあいだ自動でミュートし、恋人との思い出の写真やメッセージをアーカイブフォルダにそっと移動する……といった気の利いた判断能力まで備えている。(もちろん、このようなVAの対応は個人最適化されており、自分の行動ログと、集積したビックデータから最も適切な答えを導き出す。先ほど例に出した人物は、相当気持ち悪いナルシストだと思う。恋人に振られるのも当然だ。)

 しかしここまで技術が発展しても、昔の人々が思い描いたように、AIと人との間に友情が芽生えたり、ましてやAIに恋をしたりするような時代は訪れなかった。依然として人工知能と人の間は越えられない壁があり、AIに生存欲求と絶対的自我を植え付ける技術が開発されない限りは、AIがどんなに人間らしい振る舞いを身につけても、それは擬似的に「心」を模倣しているだけで、とても空虚なものに映った。そうして人々は機械に魂を与えることに躍起になるより、人間よりも賢く、正確で、優秀な右腕となるアシスタントを選んだのだった。つまり人は、神になることをやめたのである。